断章2 マリア・ラクリシアという人間


この魔法界では不老不死になることだけならば、実は難しくない。
私が「この身」に自ら振りまいたのと、同じ禁術を使うだけだ。
実際そうした者が、私の調べた限りだと18人。心から死を恐れ、心から永遠の生を願っていた者が多かった。しかし彼らは三ヶ月が過ぎたところで心を壊し、一年が過ぎた頃には消息不明となってしまったらしい。

何故なら、「永遠なる生」と呼ばれたその禁術には、永遠なる苦痛が伴うからだ。

千年前、闇の魔法士と呼ばれたデヴィハドーラ一族が生み出し、その呪文を魔法新聞の片隅に暗号を用いて掲載したのがきっかけで、一部の者の間でこの禁術が話題となった。
もっとも、術式そのものの成功例は少なく(ま、失敗した時点で死は免れ得ないのだが)、大きな被害が出る前に新聞は回収された。
記録に残しておくことすら危ぶまれたため、魔法教会の管理する禁術一覧からも抹消。その禁術の存在は人々から忘れ去られ、千年経った今となっては、もう誰も知らない。多分。

かつて私の親友サリィも、他者からこの禁術をかけられ、心を失った一人だった。
だが治癒魔法士である私に相談されたことは一度も無い。サリィは一人で痛みに耐えながら、一人でそれと戦う事を望んでいる様だった。
五年ぶりに彼女の姿を見た時は元気そうではあったが、屋敷の至る所がボロボロで、至る所が炎魔法で焼け焦げていた。毎日抑えきれない破壊衝動に苛まれるらしい。幸い、人も生き物も殺していない。彼女は動物が大好きだったから。

私が彼女を抱きしめたら涙を零した。
でも、彼女のその後は知らない。

S級魔法士になってから「闇の魔法士」という単語を聞かされる事が多かった。
魔法教会から私に与えられた任務は、彼らによってかけられた禁術を研究し、今も苦しみ続けている者を癒やすことだったからだ。次から次へと私の元に運び込まれる禁術の被害者。顔が半分無い者、獣と融合して元に戻れない者、言葉を発した瞬間に死ぬ者……、部屋に響き渡る絶叫、痙攣の音、嗚咽の音……。

私の恩師ラクリスは言う。
S級魔法士になるという事は、そういう事なのだと。

もちろん覚悟はしていた。ただ覚悟が足りなかった。

辛いなら逃げてもいいよ、と優しい夫は言う。
実際私はそうした事もある。二人で三年ほど悠々自適に世界を旅行した。美味しいご飯を食べ、美味しいお酒を飲み、素敵な土地を巡り、たくさんたくさん想い出を作った。しかし、どこを旅しても、闇の魔法士によって穢された人間や土地が目に焼き付いて離れなかった。

それは当然の事だった。
当時の魔法界人口の九割が、闇の魔法士によって滅ぼされたのだから。

私は気付いた。
この世界に一番必要なのは、癒やす事じゃ無いのかも知れない。
癒やす必要すら、なくなる事なのだ。
もしも、こうなる前の時間に戻ることが出来れば……。
もっと早く闇の魔法士を絶つことが出来れば……。

旅を終えると、職務放棄をした私の席は魔法教会には無かった。
表向きは解雇という事だったが、私が限界であることを気遣って根回ししてくれた者が居たらしい。
その日から私は、闇の魔法士一族の長であったアークギルドなる人物について徹底的に調べ上げた。
そして数年かけ、彼の目的を突き止める事が出来た。

それは「過去に遡ること」。

過去に干渉して何をしようとしていたのかまでは知る由も無いが、複数の禁術を組み合わせることで本当に過去へと遡れる事も判明した。

しかしそのためには、「永遠なる生」の禁術が必要不可欠となることも。

私が過去に戻ったところで、かつてのサリィの様に心を壊してしまっては意味が無い。
禁術研究の第一人者であるスターシアという名の学者に相談すると、「痛みを感じなくなる禁術」を「先に」かけておくことでそんな問題は解決する、とあっさり言ってのけた。
そんな禁術があるなら治癒魔法にも応用出来るんじゃないのかと尋ねたら、後からでは駄目だと答えたうえで、「痛みを感じないという事は、感じる事よりも辛い事だ」と学者は語った。闇の魔法士アークギルドも昔、自らの身にその禁術をかけ、より邪悪に染まってしまったという。

「痛みを知らない事は、人の心の痛みも知れなくなる事。そんな人間にはなるなよ」

それきりスターシア博士は黙り込んでしまった。

私と夫、そして私の使い魔の三人は、禁術を使って過去に遡ることを決心した。
長い長い旅の始まりだった。

………………

列車は間もなく、オーシュナーという街の駅に到着する。
この国では二十年前「スピカの大災」と呼ばれる村の焼失事件が発生したそうだ。百人の村人が死亡し、生き残りはたった一人。平和だった千年間で最も大きな惨事という事だった。
時効までの間、そのスピカの村を領土としていた王国ベグドリオには魔法教会から魔法士が派遣され、調査が行われる事になるのだが、時効を目前に控えた今となっても一向に事件に進展が無いらしい。「派遣した者共のやる気も感じられない」という報告を教会法長より受けていた。

「何者かのどす黒い心を感じるのじゃ」
「千年前の闇の魔法士一族、それに似た何かが」

法長の言葉で、私も彼らの姿が一瞬、頭をよぎる。

私は手鏡に自分の姿を映し出し、溜息をこぼす。

死にたい……、かも知れない。

フッとそれを思ったのは三ヶ月前。
そんな事は千年間生きてきて、初めてのことだった。
過去に遡ってこの世界にやって来た私は闇の魔法士一族の凶行をくいとめ、魔法界の平静は保たれた。
世界中の人々を不幸に陥れずに済んだ。
以降こちらでもS級魔法士となり、教会所属の治癒魔法士となって、私は人々を癒やし続けて来た。

優しい夫や使い魔は、それをいつも傍で支えてくれる。
彼らは本当に強い。
でも私は、
弱い人間なんだ。
脆い人間なんだ。
何の痛みも感じない千年。
でも辛い。
なぜか苦しい。
心は既に限界に来ていた。
本来抱くべきだった感情が、蓄積している証拠だった。

もし死ぬ方法が見つかったなら、きっと……。

私は首を横に振り、手鏡をしまう。
「こんな姿」になってしまったのは、三ヶ月前の私の衝動的な発作が原因だった。
あの時死にたかったと思う反面、死ななくてよかったとも思う。

今度は家族の写真を懐から取り出して見る。

うん。分かってるよダーリン。
貴方だけを永遠に愛してる。

列車が駅に到着すると、私は軽い荷を手に、ホームに降り立った。
駅のベンチで駅弁をかきこんでいた案内係の男に、私は声をかける。
「教会より最終調査の任で派遣されたS級魔法士、マリア・ラクリシアです」
「やっ、どうもマリア卿。お噂はかねがね」
男はニコニコした顔で頭を下げる。
私の容姿を一切気にしない事には好感を覚えた。
でも弁当は離さない。
食べ終えるまで待っててくれと言いたげだった。
むしろ食べ物以外に興味が無いのか?
その男の顔には、何となく見覚えがある気がする。
「……あの、どこかでお会いした事ありますか?」
「ん? いいえ?」
「そうですか。失礼しました」
長旅で疲れているのかも知れない。
私は軽く帽子を整えてから、男の名を尋ねる。

彼は満面の笑みで答えた。

「俺ですか? チャボ・シュトラウスって言います」

――了